対極―デーモンの幻想
アルフレート・クービン法政大学出版局
法政大学出版局
1908年のオーストリアの画家クービンの作品。文明社会とは自然とは人間とはという事が根底にある小説。夢の国の創造主バーテラの国に招待される主人公夫妻。お金は意味を成さない。文書局では形式だけ実行されその実は何も無い。書記は筆記しているがペンの先にインクは付いていないという様に、ひたすら自分が所属する社会の自分が把握出来ない大きさと複雑さへの不満と身の回りの不満を「不合理だ」と嘆く民衆の心情。また時計塔に無意識に群がり、ただ時計を神と崇める描写や地下室で傷ついた盲目の馬が主人公の傍を駆け抜けていく幻想など、社会で盲目的に酷使され生きる人々の風刺。住人の一人は言う「人々は鬱憤が溜まると不合理に立ち向かおうとし、時に馬鹿騒ぎを起こす。自分の仕事だけに幸せを見出すがいい。」。この中盤にかけての様々な風刺描写は現実世界の反復であり、大きく不明瞭な霞に覆われた架空の街でも結局は相も変らぬ「不合理と民衆」を描き、後半の夢の国の大崩壊、資本社会の権化の様なアメリカ人ベルの反逆から始まる地獄の描写は目を覆いたくなる様に醜悪な人間性が描かれ、両極を獲得した傲慢な支配者バーテラと権力欲と金欲という人間の上昇志向の権化ベルを対比させ、両者とも崩壊していく幻視描写は圧巻。そして深淵を感じさせる暗く憂鬱なクービン自身の挿絵。「対極」とは歓喜と苦悩、欲望(本能)と理性、人とは常に相反し認識と無の間を揺れ動く振り子である。「人間は自覚する無にすぎない」。形而上学と人間社会の形態の変遷の融合と作家の衝動によって生まれるこのような作品は、哲学者に始まり、後に盛んになる実存主義文学の先駆けでもあり既に全てを語りつくしているとも思います。しかし、認識を放棄した単に「そこにあること」とする「青い目の人」の生に光が見出されるだろうか?いずれ消えようとも輝き揺れ動く生命の光は美しいとは思わないか。
ポニーテールは王女さま (ファンシーロマン (5))
ウィンターフェルト学研
学研
この本は、私が小学生の時に学校の図書室で借りて読んで、とても気に入っていた本です。
内容は、主人公の学校へ、その国の王女様がおしのびで転校してくる、と言う話なのですが、ひょんな事から王女様の素性を知ってしまった主人公達と、王女様との女の子同士の友情が、ありきたりではありますが楽しく描かれています。
内容は、主人公の学校へ、その国の王女様がおしのびで転校してくる、と言う話なのですが、ひょんな事から王女様の素性を知ってしまった主人公達と、王女様との女の子同士の友情が、ありきたりではありますが楽しく描かれています。
王女様といってもお友達がほしい、普通の女の子なんだなぁって、何度も何度も読み返しました。
娘も小学生になり、そろそろこういった本を読ませたいと思っていますので、是非取り寄せていただきたいと思います。
エラスムスの勝利と悲劇 (ツヴァイク伝記文学コレクション6)
S. ツヴァイクみすず書房
みすず書房
Allan McNicol 、William Most、David Dunganなどの敬虔なカトリック系著作を愛する、ある熱心なカトリック保守派の方が(お名前は伏せながらも)、ルターを「反ユダヤ主義者」にして「ヒトラーの同類」だという見事な評言を述べておられたのに感心したものでした。
私はそんな方ほど勉強熱心でも、知恵に長けてもおりませんので、残念ながら、その評言の当否はしかとは知りません。正直申し上げて、ルターについては、「キリスト者の自由」くらいは斜め読みしたことがありますが、さほど関心がないもので・・(爆)。
しかしながら、この本を読みますと、なるほどルターという人は不寛容の鏡で、エラスムスに対する態度、なにより、著作で公に相手を侮辱しながら、陰ではこっそり私信を送って許しを乞うなどという、表裏のある人物と分かるもので、そのような評言もきっと正鵠を射たものに違いないと納得できたものです。
自分の醜悪な姿を鏡に映して見ていると、時には他人まで同じに見えてくるという教訓もさることながら、ルターとは対照的に、カトリックの信仰とは、自分の醜悪さを指摘されてヒステリックな応答を示す不寛容さはもちろんのこと、自分の表裏を暴露された怨念をいつまでもくすぶらせ続けるしつっこさとは無縁の、感情的な自己抑制のできる寛容にして鷹揚な人格を育むものなのだと感服させられたものです。
この本には多くのことを学ばせていただいたようです。とはいうものの、エラスムスのような優れた人文主義者が、カトリック教会から異端宣告を受けたままというのは本当に不幸なことですな。
私はそんな方ほど勉強熱心でも、知恵に長けてもおりませんので、残念ながら、その評言の当否はしかとは知りません。正直申し上げて、ルターについては、「キリスト者の自由」くらいは斜め読みしたことがありますが、さほど関心がないもので・・(爆)。
しかしながら、この本を読みますと、なるほどルターという人は不寛容の鏡で、エラスムスに対する態度、なにより、著作で公に相手を侮辱しながら、陰ではこっそり私信を送って許しを乞うなどという、表裏のある人物と分かるもので、そのような評言もきっと正鵠を射たものに違いないと納得できたものです。
自分の醜悪な姿を鏡に映して見ていると、時には他人まで同じに見えてくるという教訓もさることながら、ルターとは対照的に、カトリックの信仰とは、自分の醜悪さを指摘されてヒステリックな応答を示す不寛容さはもちろんのこと、自分の表裏を暴露された怨念をいつまでもくすぶらせ続けるしつっこさとは無縁の、感情的な自己抑制のできる寛容にして鷹揚な人格を育むものなのだと感服させられたものです。
この本には多くのことを学ばせていただいたようです。とはいうものの、エラスムスのような優れた人文主義者が、カトリック教会から異端宣告を受けたままというのは本当に不幸なことですな。